ジャガイモ定植に向けて

先日は研修先だった農家さんのところでジャガイモの畝つくりをした。

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写真はジャガイモのマルチを張り終わって、マルチが風で飛ばないように、土あげをしているところだ。(写真は今の研修生がとってくれたものだ)

畝づくりは、耕うん機を使えばこれだけ張るのに、そこまで時間はかからない。肥料をふったあと、耕うん機で通れば畝たてとマルチ張りが同時に行われる。このマルチ張りはまだ任せてもらえていない。耕うん機のマルチ張りは、それなりにコツがあっていろいろと微調整がいる。

あとは頃合いを見計らって、ジャガイモの種を定植していくだけである。

 

さて、自分もジャガイモの定植をしていかなければならない。今日、自分の種芋を切る作業をした。

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今回は種芋20キロ分だ。明日、植える圃場を仕上げにトラクターかけて定植する予定でいる。自分もスマートに耕うん機などを使って畝たてしたいが、持ってないのでクワでやるしかない。これぐらいもう手慣れたものだって思っているが、果たしてどうなるのであろうか。

無の状態、大根洗い

大根をとってきてから、それらを出荷するまでも結構大変だったりする。今でこそ、このやり方が慣れちゃっているから、ほとんど何も考えずに作業しているが。(水が冷たいとか、あと大根何本洗わないといけないとかそんなことばかり考えている)このやり方に落ち着くまで、紆余曲折をへて今のかたちになったのだ。

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収穫した大根を軽トラの荷台に乗せ、そのまま我が家へ。そして、場所をセッティングして一本ずつ手洗いしていく。とても地味な作業だ。

洗った大根はつやつやして綺麗になり、それが何十本と積まれるとそれなりに達成感がある。

ラジオを聴きながら、優雅に作業をしようなんて最初は思っていたが、やっていて無音のほうが集中できることがわかり、それ以来ラジオは聴かずにやっている。ふと頭に浮かんでくる雑念とかを考えるともなく考えている。いわば、無の状態と言えば、聞こえはいいかもしれない。そういう単純作業の中で、無になる、あるいはゾーンに入ることは農作業において、結構あることだ。こういう状態は、僕は割と好きである。

苗の準備

苗作りが、ぼちぼち始まろうとしている。トマト、なすび、ピーマンなどのナス科の野菜たちの種まきからスタートする。先日は芽だしの為の山土(腐葉土)をふるいにかける作業をした。

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山土のほかに、落ち葉やら、朽ちた小枝も一緒に粉砕されたものも混ざっている。この山土の香りは何ともいえない澄んだいい香りだ。自分の鼻孔も吸うたびに喜びを感じている。ここから新たな命が芽を出していくのだ。自然のサイクルって本当にうまくできている。

 

僕の所属する、かごしま無農薬野菜の会もこの前、作付会議が行われた。これから、春の野菜に向けて準備が始まる。とりあえずはジャガイモ定植の準備をしていこうと思っている。

季節は確実に流れていっている。梅の花が咲きだし、空気のにおいもいつもと違う感じがする。あれもしなきゃ、これもしなきゃと急に浮き足立ってしまうが、慌てず、徐々にエンジンがかかっていくのを望みたい。

 

 

薪で焚くお風呂

鹿児島といえども、寒いときはとことん寒い。持っている暖房器具は石油ストーブとコタツぐらいで、家の中でも吐く息が白くなるのはザラだ。

けれども、今住んでいる家には炊き風呂ができる。本当に体の芯から温まるのだ。そのおかげでだいぶこの冬は助かっている。

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風呂が焚きあがるまでにだいたい二時間くらいか。そして思ったよりも薪を消費するものだ。しっかり乾燥してないものであったら、煙たくなるだけでいっこうに温まらない。

薪も潤沢にストックしてあるわけでもなく、たまたま通りがかったとこから取らせてもらったりしている。でも、あちこち目を凝らしていると木が捨ててある場所は結構あるものだ。あとは地主さんだったり、近所の人だったりにうまく交渉すればいい。そうして、何とかこの冬はつないでいけている。

炎のゆらめきは何と言っても落ち着く。見ていてうっとりするものだ。もっと暮らしの中に火を取り入れていきたいって思っている。室内で薪ストーブを焚くことができたら、一気に家の寒さから解放されるのに、と思うのだがとりあえずは今の薪風呂ですごく満足しているところだ。

 

大根、収穫中

大根の収穫、ひと通りいいやつは出荷することができた。だいたい三割(もっと多いかもしれない)は腐っていたり、小さいままだったり。まだまだ、土づくりが必要になってくる。それでも、思ったよりも出荷できているから、初めてにしては十分すぎるくらいだ。

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出荷できない野菜はこうして畑に戻す。傍から見たら、すごく勿体ないように思える。腐れているところを取り除けば、十分に食べられる。自分の家にも、うず高く大根がつんであって、前にとったものはしわしわになって干し大根みたいになっている。甘くなってすごく美味しい。

それ以外の大根はこうして畑に還元するのだ。畑に食べさせる。分解の過程で土の中の微生物の大事な餌になるのだ。だから、畑に戻すことはすごく意味のあることだ。

さあ、大根の後はなにを植えよう。これからの種まき時期に備えて、あれこれ考えている。そんな時間がすごく楽しかったりする。

種もみの脱穀

今は、週に二回は研修でお世話になった農家さんのところにアルバイトに行っている。昨日は種もみ用のお米の脱穀をしていった。うるち米のほかにも、黒米や赤米、いろんな種類のお米を作っているのでその種類ごとに分けて保存していく。

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足踏み脱穀機、使っているところは何度も見たことがあるが、実際に自分でやってみたのは今回が初めてであった。足でペダルを踏みつつ、もみを落としていく。同時に二つのことをするのはとても難しかったが、踏み方のリズムとかやっていくうちに慣れてくるもので最後は踊るような感じでどんどん脱穀していけた。

 

自分の作った米も、こういうふうにして脱穀していくんだというイメージ作りに大いに役にたった。

実際に枕崎でも米つくりにチャレンジしたことがある。水がほとんど入ってこない田んぼに自然農でやってみた。今考えたら、それはあまりにも無謀であった。やり方も自然農の本だけが頼り、実質的な技術は何もない。もちろん収穫することなんてできなかった。

それでも、自分の意志でこうしてトライしたことは決して無駄ではないと思う。そんな失敗を重ねての今回の脱穀作業は、また一つの技術を得れたという意味でとても大きい。そして、枕崎での失敗があってこその感動だと思う。

ホントにこういうちょっとした技術の積み重ねが大事なのだ。少しづつだけど確実に自分の米を食べるという目標に近づいているのが、素直に嬉しい。

米つくり、何となく始動

今年こそは、自分で作った米を食べる。2015年、僕にとっての一つの目標である。

先日、トラクターで田おこしをすることができた。

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無肥料で作ってみようって思っている。そのためには耕うんによって、早く草を分解させ、代かきも丁寧に何回もするといいらしい。

とはいうものの、ほとんど初めてに近いからどれだけできるかは未知数だ。

米もつくれるようになったら、さらに自分にとっての農の世界、暮らしの幅もひろがっていくはずだ。

とりあえず、一回目を耕うんできてよかった。また、折を見つけて耕していこうと思う。